S坂えすざか

根津神社の南側、東大農学部キャンパスに沿って、大きなカーブを描く坂には、名前が3つあります。

「新(しん)坂」「権現(ごんげん)坂」「S 坂」

本郷通りから根津方面につながる道としてつくられた新しい坂なので、「新坂」と呼ばれたそうですが、根津神社の旧称「根津権現」の表門に下る坂であることから、「権現坂」とも言われています。

不忍通りから坂を登っていくと、右手に根津神社が見えてくる。


では「S 坂」の由来はというと、森鴎外の小説『青年』に、以下のような一節があるのです。

純一は権現前の坂の方に向いて歩き出した。・・・右は高等学校の外囲、左は出来たばかりの会堂で、・・・坂のうえに出た。地図では知れないが、割合に幅の広い此坂はSの字をぞんざいに書いたように屈曲してついてくる。

小説にでてくる高等学校とは、旧制第一高等学校(現在の東京大学)のことで、出来たばかりの会堂は、今日も坂を登りきった右角にある聖テモテ教会のことだとか。

旧制第一高等学校の生徒たちが、小説『青年』を読んで、S 坂と呼んだことから、この呼び名が根付いたと言われています。。


教会の掲示板には、周辺の観光スポットが紹介された地図が貼ってあります。赤いピンのところが教会です。近くには、「お化け階段」(数年前に整備されてしまいましたが)や、「弥生式土器発掘ゆかりの地碑」もあります。 S 坂を登りきって左折すると、東大地震研究所の門があります。

門の前には、地震学発祥記念碑として写真のような石のオブジェが設置されています。これはかつて、安田講堂の裏にあった地震研究所の外壁に飾られていた石飾りで、1963 年から1970 年にかけて現在の場所に研究所が移転し、1981 年に、安田講堂裏の建物が取り壊されることになったため、石飾りのオブジェを現在の場所に移動させたとのこと。旧研究所の壁面に飾られていた地震計の石飾りも一緒に飾られていたものの、現在では見ることができません。

石のオブジェの左側には、写真のようなプレートが貼ってあります。実は、これ、1998年につくられたタイムカプセルで、第一回地震研究所協議会 の議事録をはじめとする、地震研究所の歴史的資料が保存されているのです。


地震研の前を通過し、道なりに進んでいくと、本郷通りにぶつかります。ここを左折すると、南北線・東大前駅が。さらに直進すると、左手に、東大・農学部キャンパスの正門が見えてきます。

農学部の門「農正門」は、1935 年に農学部が駒場から第一高等学校跡に移設した後、37 年に創建されました。現在の門は、2003 年に、北海道の木曾のヒノキ材をつかって復元されたものです。

正門の前の本郷通りは、「高崎屋」という酒屋があるところで、中山道と、徳川家の将軍が代々日光東照宮に詣でるときに使っていた日光御成道(旧岩槻街道)に分かれています。
日本橋から一里(約4キロ)の距離にあたるここは、「本郷追分」とも呼ばれ、高崎屋の前には、塞大神が建てられていたのですが、その後の道路拡張工事によって、根津神社に移動されています。1751 年創業の高崎屋は、両替商も兼ねた「現金安売り」で繁昌。文京ふるさと歴史館には、江戸時代の高崎屋を描いた錦絵が展示されていて、かつては、現在の東大農学部の敷地も所有していたことがわかるでしょう。

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