簸川ひかわ神社

住  所
文京区千石2-10-10
電  話
03-3941-6687
アクセス
東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」下車 徒歩6分
参 拝 料
無料

茗荷谷駅を降りて、春日通りから教育の森公園のほうへ入り、湯立坂を下ってゆくと小石川植物園の西側に出ます。植物園の左手に鳥居が見えたら、そこが簸川(ひかわ)神社です。

簸川神社の創建は古く孝昭天皇の時代(紀元前473年)といわれています。もともと小石川植物園内南東の水源地にありましたが、承応年間(1652年~55年)に白山御殿が建てられる際に原町に移され、さらに元禄12年(1699年)に景勝地といわれた現在の高台へ移りました。祭神は素盞嗚命(すさのおのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)の三神を祀っています。

元禄12年(1699年)に景勝地といわれた現在の高台に遷移しました(図:新撰東京名所図絵第45編)

かつては小石川・巣鴨の広い地域(巣鴨村)の総鎮守で、その名残として木造の社の前にある狛犬には「巣鴨」の字が見られます。明治時代に入って内務省ができてから、大規模な神社は宮司を2人持たなくてはならなくなり、その形式を避けて宮司1人で担える大きさに規模を縮小。知名度では根津神社や白山神社がよく知られていますが、現在でも文京区の氏子の約1/5を治めており、文京区内では最大規模を誇っています。

江戸時代は「氷川大明神」と称して、江戸七氷川に数えられました。明治に入ると「氷川神社」へ改称しましたが、さらに大正時代に入って、当代の三代前にあたる神主毛利十世昌教が社号に疑問を持ち、学者に研究を依頼して自らも研究した結果「氷川」は出雲国「簸川」に由来するという説が適切との結果を得て、「簸川神社」へ改めました。
この大正時代の神主毛利十世昌教はもともと幕末の志士でした。江戸城が無血開城されたときには城内の牢に閉じ込められていたそうで、解放されたのちは勝海舟のもとで動いていました。しかし、明治維新後の爵位制度に馴染めず、簸川神社へ養子に入ったということです。
神主に就いたあとも幕末の志士達と親しくしていた縁で、明治23年10月には、皇太子(のちの大正天皇)が植物園を御参詣された折に、簸川神社も御参拝。天皇家がお参りになった全国でも珍しい民社でもあります。
かつては正倉院が所蔵する螺鈿紫檀五絃琵琶と同様の琵琶がパリの万国博覧会にも出展されたと口伝されるくらい、数多くの文化財を所有していましたが、第二次世界大戦の東京大空襲でその多くを焼失。空襲では本殿や社務所なども焼けました。
社殿は昭和33年に再建され、平成23年には新たに神楽殿と参集殿が建立されています。
参集殿の庭には白松という珍しい松が植えられているほか、福島県の三春滝桜と呼ばれる樹齢1000年以上のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)の苗をもらい受けており、東北復興を願って植えられる予定です。

毎年9月の祭礼では、10町会の神輿が参加する「陰祭」と24町会の神輿が参加する「本祭」を1年おきに行っています。祭礼日には獅子舞や奉納太鼓が演奏され、多くの参拝客で賑わいます。