 |
| 戦災で焼けた蓋平館別館の後に建った太栄館。玄関先に「啄木ゆかりの地」の碑が立っています。 |
・石川啄木
1909年、北海道を転々としていた啄木は、家族を函館に残して、単身上京します。22歳の啄木は盛岡中学の先輩である金田一京助を頼り、現在のオルガノ株式会社の敷地の中にあった赤心館に下宿します。しかし小説は売れず、家賃を滞納して5ヵ月後に京助とともに近くの蓋平館(がいへいかん)別荘に移ります。引越し費用と啄木の家賃肩代わりのため、京助はたくさんの蔵書を売り払いました。「たはむれに母を背負ひて そのあまり輕きに泣きて 三歩あゆまず」などの短歌がこの頃書かれます。2年後、友人の世話で朝日新聞社に職を得て、なお困窮が続く中、家族を呼び寄せ、27歳で急逝するまで住んだのが、春日通り沿いの理髪店喜之床の二階でした。ここは現在アライ理髪店となっていますが、喜之床の建物は愛知県犬山市の明治村に復元されています。
 |
| 菊富士ホテル跡の碑 |
赤心館の隣には文人たちが集った菊富士ホテルがあり、オルガノの敷地内に碑がたっています。石碑には文人たちの名前が刻まれていますが、錚々たる面子です。
 |
| アライ理髪店 |
その他にも、菊坂界隈には、梶井基二郎、二葉亭四迷、徳田秋声、石川啄木、金田一京助、谷崎潤一郎、高山樗牛、島崎藤村、尾崎紅葉、上林暁などが住み、あるいは下宿しています。
昭和になっても木下順次、田宮虎彦らの名前が見えます。 |