鐙坂あぶみざか

都営三田線「春日駅」A6番出口から右に数分歩き、最初に右手に現れる路地を道なりに進むと、ひっそりとした佇まいの鎧(あぶみ)坂があります。

坂下から見た鐙坂


鎧坂の名前の由来

鎧(あぶみ)とは馬具の一つで、鞍の両脇から馬の脇腹にたらして、乗り手が足を乗せものを指します。
鐙坂の名前は、昔、この辺りに鎧を作る職人の子孫が住んでいたことが由来とする説もあれば、坂の形が鎧に似ていることが由来とする説もあります。
坂下から見ると、左手には木造の門を構えた趣のある家が建ち、右手には苔や雑草が生えた古い石垣があります。これらに挟まれた、車が通ることのできない細い坂道が鎧坂です。
路地裏の静寂に混じって、時折遠くに後楽園のジェットコースターに乗る人びとの歓声が聞こえてきます。それがかえって現実味を遠ざけ、どこかノスタルジックな雰囲気を演出しているから不思議です。

時間の経過を感じる石垣


樋口一葉が訪れた右京山

今は住宅地となっている鎧坂の西側には、江戸時代、上野高崎藩の藩主・松平右京亮の中屋敷がありました。明治維新後に草地となりましたが、この地は長い間、右京亮にちなんで「右京山」と呼ばれていたそうです。
明治時代、この近くの旧菊坂町に住んでいた小説家の樋口一葉は、時々、鎧坂を歩いて右京山に訪れていたようです。明治25年9月18日、一葉が21歳のときに書いた日記には「夕暮れ時から妹の邦子と散歩に出かけ、右京山で虫の声をきいた」とあります。翌年の明治26年1月29日の日記には次のように記されています。

部屋の戸を開けて外を見ると、庭も垣根もただ一面に銀の砂を敷いたようにきらきらとして、目の前の右京山はまるで浮き出たようで、夜とも思えないほどはっきり見えるのは月が出たためでしょうか。多くの悩みを捨てて凡俗の世から離れようと思う身にも、捨てきれないのはこの雪景色の美しさです。

(引用元)高橋和彦『完全現代語訳 樋口一葉日記』(アドレエー)P195

さらに、明治26年5月7日の日記には、右京山から母親と一緒に靖国神社の大祭の花火を見たと書かれています。一葉は、右京山で四季折々の景色を眺め、季節の移ろいを感じていたのではないでしょうか。

坂の途中から鐙坂を見下ろす


金田一京助・春彦が暮らした坂

鎧坂を登っていくと、中ほどの左手に「金田一京助・春彦旧居跡」と書かれた説明板があります。言語学者である京助はアイヌの叙事詩「ユーカラ」を初めて世に紹介したことで知られています。昭和29年には文化勲章が授与されました。また京助は、盛岡中学時代の後輩で、近くに住んでいた石川啄木を精神的にも金銭的にもサポートしたといわれています。
京助の長男で国語学者の春彦は、数多くの国語関係辞書などを編纂したことで有名です。平成13年に東京都名誉都民となりました。

鎧坂は、さまざまな文化人や小説の登場人物などが行き交う道でした。現在はどこか物憂げでひっそりとしているものの、夕方には自転車のうしろに子どもを乗せた母親や、買い物袋をさげて帰路につく人びとなど、あたたかい生活の風景を垣間見ることができます。

ある日の夕方

坂にある名店

石井いり豆店

創業明治20年。現在は4代目のご夫婦と5代目のご子息が店頭に立ちます。「確証はありませんが、夏目漱石は落花生の砂糖まぶしが好きだったというので、もしかしたらお店に来てくれていたかもしれないですね」と皆さん。遠方からわざわざ車で来店されるお客さんもいるようです。鎧坂から徒歩5分。

住  所
〒113-0024東京都文京区西片1-2-7
電  話
03-3811-2457

石井いり豆店